壱岐島・住吉神社の歴史と見どころをご紹介!

壱岐島のほぼ中央に位置し、郷ノ浦(ごうのうら)から勝本へ向かう国道の途中の深い森の中に鎮座する壱岐島・住吉神社。
全国に2300余りある住吉神社の中でも、最も古くから信仰を集めているのが、この「壱岐島・住吉神社」と言われています。

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この四社を「四代住吉」と呼びます。
今回の記事では、そんな壱岐島・住吉神社の歴史と見どころについて、紹介したいと思います。
ぜひ、最後まで読んでください。

壱岐島・住吉神社の歴史

  • ・200年:創建
  • ・1871年:国幣中社に列格
  • ・1871年:住吉神社の神鏡17面(工芸品)が神池から発見
  • ・1894年:絹本着色高野四社明神像(絵画)が寄進
  • ・1933年:御幸船(工芸品)が新造
  • ・1976年:クスノキ2本が天然記念物に指定
  • ・1987年:大大神楽が重要無形民俗文化財に指定

壱岐島・住吉神社の創建は200年です。
住吉大神の守護によって三韓征伐を為し遂げた神功皇后(じんぐうこうごう)が、
現在の壱岐市郷ノ浦町大浦触(ごうのうらちょうおおうらふれ)に上陸。
その時に住吉三神(すみよしさんしん)を祀ったのが壱岐島・住吉神社のはじまりとされています。

三韓征伐とは何か?

三韓征伐(さんかんせいばつ)とは、神功皇后が今の朝鮮半島南東部にあたる新羅(しらぎ)に出兵し
朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたとする日本の伝承です。

西暦200年頃の話で、古事記や日本書紀にも記載されています。

神功皇后とは何者か?

神功皇后三韓征伐 [武内桂舟, 1895年, 日本の童画 第1巻 武内桂舟・川上四郎・本田庄太郎より]

神功皇后とは仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后(きさき)で、応神天皇(おうじんてんのう)の母にあたる人物です。
夫である仲哀天皇が急死をした後に、神功皇后が代わりに政事を執り行なったパワフルな皇族として伝えられています。
しかも、三韓征伐に至っては、お腹の中に応神天皇を抱えた妊娠中の状態で、
海を渡って朝鮮半島に出兵し新羅を攻め落としています。

そんなパワフルな女性から生まれた、息子である応神天皇は源氏が始祖と認定していることから
「戦国時代・安土桃山時代・江戸時代」と中世以降は武士からの人気が絶大でした。
日本で1番多い神社は八幡神社なのですが、御祭神として祀られているのが、この神功皇后の息子である応神天皇です。

神功皇后は神託を受ける不思議な力があります。
そのパワーの原動力は「神のお告げを聞き、それを忠実に守る神への忠誠心」とも言われていますが、
それを抜きにしても非常に力強い女性であることは確かです。

壱岐島・住吉神社で得られるご利益

  • ・安産
  • ・縁結び
  • ・厄除け
  • ・延命長寿
  • ・子孫繁栄
  • ・家内安全
  • ・海上安全


壱岐島・住吉神社では住吉三神を祀っているため、上記のご利益が期待できます。

住吉三神とは、どんな神様なのか?

住吉三神とは正確には、以下の三神の総称です。

  • ・底筒之男神(そこつつのおのかみ)
  • ・中筒之男神(なかつつのおのかみ)
  • ・上筒之男神(うわつつのおのかみ)

古事記によると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は国生みの神として大八島(おおやしま)を生みました。
その後、さまざまな神を生みましたが伊邪那美命が火之迦具土神(ひのかぐづちのかみ)を生んだときに大火傷を負い黄泉国へ旅立ちました。

その後、伊邪那岐命は黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとしますがその目的を果たせませんでした。
そこで筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で「黄泉国のけがれ」を洗い清める禊(みそぎ)をおこないました。

このとき、生まれたのが「底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神」の三神です。
そのため、この三神は「厄除け」や「海上安全」などの水と関係する神様として祀られています。

ちなみに、神功皇后に神託をだして、妊娠中にも関わらず三韓征伐に向うきっかけを作ったのは住吉三神だったりします。

壱岐島・住吉神社の見どころ

写真提供:(一社)長崎県観光連盟

壱岐島・住吉神社の見どころは、たくさんあります。

  • ・明神鳥居
  • ・竹生島神社
  • ・オガタマノキ
  • ・夫婦クスノキ
  • ・大大神楽

上記は特におすすめしたいスポットです。
順番に紹介します。

明神鳥居

壱岐島・住吉神社の入り口には明神鳥居(みょうじんとりい)があります。
明神鳥居とは、両サイドが反り返った流線的なフォルムを採ることが多く、中央に額束(がくつか)などの社名が示されている鳥居のことです。
壱岐島・住吉神社の鳥居は1903年に建てられたものです。この鳥居のある場所は、国道382号線沿いなので、遠くからでも非常に目立つ鳥居です。

竹生島神社

壱岐島・住吉神社には竹生島神社(ちくぶじんじゃ)という境内社があります。
その竹生島神社の近くに神池と呼ばれる池があります。

実はこの神池には、神功皇后が三韓出兵をした折に埋めたとされる鏡があり、この池から鏡を取り出すときには必ず雨が降るという言い伝えがあります。
明治時代1871年の干ばつがあった際に、実際に鏡が発見されました。
それが神鏡17面です。不思議なことに、この鏡を取り出す時に、言い伝えの通り雨が降ったそうです。
壱岐島・住吉神社の神池で見つかった、鏡17面は1976年に壱岐市の有形文化財となっています。

オガタマノキ

壱岐島・住吉神社には壱岐の銘木(めいぼく)・巨樹に指定されたオガタマノキがあります。

  • ・樹齢:不明
  • ・樹高:22m
  • ・幹周:1.52m


オガタマノキは、日本神話のアマテラスの岩戸隠れの際、天岩戸(あまのいわと)の前で淫らな舞を踊った天鈿女命(あめのうずめのみこと)が持っていた木です。 
巫女が神楽舞の時に使う美しい音を奏でる神楽鈴は「オガタマノキの実」がモデルとされています。
オガタマノキは漢字で招霊木と書き、招霊(おぎたま)が転じて「オガタマ」と呼ばれるようになったようです。
招霊とは「神を招く」といった意味があるので、その関係で「オガタマノキの実」を模した神楽鈴を作ったのでしょう。

夫婦クスノキ

写真提供:(一社)長崎県観光連盟

壱岐島・住吉神社には、夫婦クスノキと呼ばれている大きなクスノキがあります。

  • ・樹齢:不明
  • ・根周:6.9m
  • ・目通り幹周「夫」:4m
  • ・目通り幹周「婦」:3.4m


上記のようなクスノキで、大きく二つに分かれています。

この夫婦クスノキ、恋愛や結婚に関する言い伝えがあり「男性は左回り」「女性は右回り」に回ると良縁に恵まれると言われています。
地元の人が壱岐島・住吉神社で良く結婚式をあげているそうですが、その時にクスノキのまわりを回っている人を見かけるようです。

大大神楽

壱岐島・住吉神社では、毎年12月20日になると大大神楽が行われます。

神楽とは、平安時代の宮廷音楽のことで、神を祭るために舞い踊るものです。壱岐島の神楽は、室町時代に始まったとされ、約700年もの古い歴史を持っています。

夜神楽(住吉神社) 写真提供:(一社)長崎県観光連盟

  • ・八咫烏(やだがらす)
  • ・猿田彦(さるたひこ)
  • ・折敷(おしき)
  • ・神相撲(かみずもう)


上記のように33の演目があり、壱岐島・住吉神社の神楽は約6時間にも及びます。だいたい14:00頃から始まり、夜には境内が緑色にライトアップされ神秘的な空気に包まれます。
舞いも音楽も神職のプロの方がやっていて、壱岐島・住吉神社の大大神楽は、国の重要無形文化財に指定されています。
12月20日に壱岐島を訪れる方は、ぜひ住吉神社に足を運んで、大大神楽を見ておくべきでしょう。

壱岐島・住吉神社の歴史をご紹介!:まとめ

以上、壱岐島・住吉神社の歴史を紹介しました。

壱岐島・住吉神社は、神託が下ったとはいえ妊娠中に甲冑を着て弓や刀を装備して、
戦争に向うような神功皇后と深い関係のある神社です。
そのため、生きるパワーをもらえる神社だと思います。

特に12月20日などは約700年の歴史を誇る、素晴らしい大大神楽もあるので、ぜひ足を運んでみると良いでしょう。

壱岐島・住吉神社の基本情報

  • ・住所:〒811-5742 壱岐市芦辺町住吉東触470-1
  • ・アクセス:芦辺港から車で10分
  • ・駐車場:あり
  • ・電話番号:0920-45-3002(御朱印予約)
  • ・例祭日:新4月/第2日曜/春大祭/神幸・大神楽
  • ・例祭日:新11月/第2日曜/例祭/神幸・大神楽
  • ・例祭日:新12月20日/奉賛/大大神楽

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